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ココ の ブログ

考える葦(2)



考える葦(2)

 何故12年前の55歳の頃に自分史を書き上げたのかを考えてみると、更にその12年ほど前に父が急逝し、慌ただしく単身赴任先の東京から奈良へ帰省し、車で京都へ駆け付けたのを覚えている。人間の命のはかなさを考えさせられながら淡々と葬式を済ませ葬ったものの、西大谷(五条坂)に実家の墓地があるにもかかわらずボクは敢えて分骨し高野山で永代供養をし、そして、数年後には表参道に新しく墓地を求め、父を祖とする五輪塔を建立したのだった。そうした訳にはボクなりの理由があって、父の死をきっかけに自分を見直すチャンスだと感じて自分史を書き始めることにしたのだ。考えてみれば幼少期から青年期まで実に長かったエディプス・コンプレックスへの決別と総括だった訳である。

葦(1)
葦(1)

 そもそも父親としての権威というものが暴力的威圧感でしか保てないと錯覚していたような父だったから幼い頃からボクは父親とは確執をもって生きて来たのだった。中学時代に父が事業の失敗で家を潰し一家離散のようになったことで更なるエディプス・コンプレックスが増して行き、それと同時に厭世感も強く抱くようになっていて、その延長で家族とも精神的に疎遠になり、大学を卒業して母の家を出てからは当然のように家族とは絶縁状態で暮らすようになっていても何ら違和感は無かった。世間並みに自分の家庭を持つようになったのは30歳の頃だったが、それでも心の底から家庭愛というものには懐疑的だった。

葦(2)
葦(2)

 生まれながらにして孤独という人間の性は、単に妻や子供が出来たぐらいでは払拭されるものではないと信じていたし、人間は生まれる時も死ぬ時も同様に孤独なのだという悟りのような心でボクは居たのだった。尤も、それは子供心では考えられないことのように想えても当時のボクは真剣にそう想っていたのだった。前期高齢者になった今でも大して変わりはない。孤独というものは心の問題であり、仮に群衆の中に居ても孤独感は癒されるものではなく、逆に増幅されるものだ。だからこそ人間は強くなれる生き物であり耐えて生きて行けるのだ。少なくとも健康で居られる内は人間誰しもそう想える筈なのだ。

葦(3)
葦(3)

 12年前に自分史を書き上げ、書き始めは更にその12年ほど前であったということは12年間も掛かって書いては消し、消しては書いたということになる。中断もあった。心の迷いが何度も書き直しをさせ、中断をさせ、再開を繰り返し、終いに世間で言うところの定年(55歳)の頃に思い切って書き直すのを止め、一応仕上げたということにしたのだった。400字詰原稿用紙にして180枚ほどになっていた。そして書いた以上は誰かに読んで貰いたいという気が働くのが常だ。プリントを先ず妻に見せた。が、読もうともしなかった。読まなくても大体分かるというのだ。次に、京都に住む妹に渡した。そして当時未だ生きていた神戸の叔父(母の弟)にも渡した。読者は二人だけだった。

葦(4)
葦(4)

 本当に読んで貰いたかったのは父であり母であった。しかし父はもう居ない。母とは絶縁状態だった。妹が母と交信をもっていたから多分、見せたであろうと想った。赤裸々に両親のことを書いたから反論があれば受けて立つ積りでいた。しかし、何の音沙汰も無かった。仮に一方的な見方だと反論されれば自分なりに反論するだけの根拠と自信はあった。叔父は母とボクとの不仲を知っていたから彼なりに何か母の弁解でもするかと思ったが、矢張りそういうことは無く、只「読ませて貰いましたヨ」と言っただけだった。仮に何か意見でもされるなら「身内の、それも詮無いことで・・・」と最初に弁解せねばならないであろうことが心に引っ掻かるぐらいな煩わしさがあっただけだった。(つづく)

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